おことわり
このブログは、将棋好きで発達障害気味(アスペっぽい)人間が書いています。
将棋はとても弱く、無料ソフトでゲームをしたり、ユーチューブの動画を見たりするだけですが。
一応将棋が趣味の私は、ユーチューブで次のような動画を見つけました。
藤井聡太八冠(21)の対局で使われた駒は“ある人の私物” 駒の値段は 「福澤諭吉さん何人?」の質問に「100人はいないけど、数十人よりは上」
先日行われた王将戦第3局で気象予報士の森田さんの駒が使われたことを伝えています。(森田正光さんに名古屋のCBC中部日本放送がリモート取材しています)
将棋の駒を持ってるのに新しい駒を買いに行ったとか、藤井八冠がもしも他の駒を選んだらとか、インタビューで野暮な質問をしなかったらとツッコミどころも。本音と建て前を行き来するやりとり。最後は自慢話が止まらくなる森田さん。
こんなやりとりを楽しめるようになりたいものです。
ちなみに往年の将棋ソフト森田将棋でお馴染みの森田和郎(もりた かずろう)さんとは別人です。森田と言う名字と将棋と言うキーワードが共通しているからと言って、将棋ソフトの森田将棋の話を始めると、会話泥棒などと言われたりします。(人にもよりますが)意外とやってしまいがちなので、要注意。次の話題に移る時に、森田将棋の話をするなら大丈夫。
こういうコミュニケーションのミクロなやり取りの巧拙(上手い、下手)も人間関係を築くためには大切です。しかし、もっと大きな枠組みを理解してほしいとおもうこともあります。
将棋を例にとると、現在では将棋好きの人の多くは、スマホやタブレット、パソコンで、コンピューター、AI相手に将棋を楽しんでいます。(インターネットで人間相手に対局を楽しむこともできますが、今回は将棋ソフトを楽しむケースを想定します)
将棋が趣味の人の多くは、暇な時間、一人で将棋ソフトとの対局に没頭しています。これは基本的に一人の時間です。電話がかかってきたりとか、誰かが部屋を掃除するからと言った理由では邪魔されたくありません。対局が終わるまでは基本的に話しかけないでほしいと思っているわけです。
その一方で、将棋に興味を持つ人がいれば将棋の話をしたいという気持ちもあります。私の場合、将棋に全然詳しくないので、実際には、それほど話したいとは思えないのですが。しかし、もしも森田さんのように高い将棋の駒とアマ四段の免状を持っていて、羽生九段(元七冠、将棋連盟会長)と対局したことがあるのなら、そういったエピソードを嬉々として話していたと思います。
私自身も10年以上前、加藤一二三九段の大盤解説会に行ったことがあります。解説内容はほとんど分からないけれども棋士の頭の中をのぞいているような気分になる独特の大盤解説会は、とても印象的でした。
発達障害とかアスペルガーの支援をしようとか、もっと守備範囲を広げて人々の孤立を解消しようと言う場合、「基本的に人は、一人、一人、独自の世界を生きているが、他者と分かち合いたい部分もある(誰かに話したくなることもある)。」という認識が大切だと思います。それは困りごとがあるとか相談したいことがあるのとは別の話です。もっと人と人がお互いに大切に思うために必要なものという気がします。自分が大切だと思うこと、好きなもの、自分自身の経験などを、意味のあるものだと受け止めてくれる誰かがいること。それによって、人は身近な他者を特別な存在として、いとおしく思うのではないでしょうか。
居場所づくりとか孤立を防ぐとか言っても、そもそも「人が人を大切にする」ということ自体理解していない人が少なくないように思います。