子ども若者応援フリースペース(品川区)の問題点について書きました

https://narrative.hatenablog.jp/entry/2024/01/14/211225

「あなたの物語」と「私たちの物語」

誰かと雑談したりする時、相手と共通の話題を探す人と、相手が話したい話題を探す人がいます。(そんなことを考えずに自分が話したいことを話せれば一番いいのかもしれませんが、少しでも相手に合わせようと言う気持ちがある場合)
相手と共通の話題は「私たちの物語」、相手が話したい話題は「あなたの物語」と言い換えることも出来るでしょう。


 「私たちの物語」というと宗教が典型でしょうか。聖書の物語などは、宗教を信じて共有している人にとっての「私たちの物語」。新しい宗教が出来る時には、信者の人たちで共有される「私たちの物語」が作られます。
 「あなたの物語」というと小説とか漫画、アニメ、ドラマなどが思い浮かびます。
もちろん、こうしたメディアでも、宗教や歴史、政治と言った「私たちの物語」も描かれますが、一人、一人の個別的な物語が描かれることも多くあります。(ラブストーリーなど)


ネット空間では旧ツイッター、Xは、「私たちの物語」という幻想に浸るための装置という気がします。選挙で盛り上がったり、最近だとテレビ局や出版社を追及したり。欲求不満を吐き出す個人の物語ではなくて「私たちの物語」だと思えるような仕組みが作られています。
 一方はてなブログは基本的に「あなたの物語」に興味を持つ人が読むもの。以前は、もっと一般的なテーマ(時事的な内容や流行に関するもの)の記事が多かったような気がしますが、最近では書き手は「私の物語(個人の物語)」をつづり、読み手は「あなたの物語」を読む場所だと思います。


 学校は基本的に「私たちの物語(学校の物語)」を生徒や学生に押し付ける場所です。一人、一人の物語を大切にすると言う建前はあっても、学校全体の「大きな物語」「私たちの学校の物語」から大きく外れる人を応援するのは困難でしょう。表面的に一人、一人の物語に寄り添おうとしても、教師のウソはすぐにばれます。(定時制高校とか通信制高校、あるいは特別支援学校などでは、とことん学生の物語に寄り添う教育も行われているのかもしれませんが)


 いわゆる普通の学校について考えると、「私たちの物語」を押し付けるのではなくて、「あなたの物語」を大切にしてくれる友人や先生は癒しをもたらす存在になります。窗ぎわのトットちゃんに出てくるトモエ学園の校長先生、小林先生なんかが代表例でしょう。私自身の経験を振り返ると、浪人生の時、河合塾の小論文の先生が、一人、一人の個性を本当に大切にしてくれる先生でした。その先生と話すことで随分救われた記憶があります。


 10代の男子では難しいのでしょうが、女子の場合、中学生ぐらいから、親しい友達とか先輩、後輩など、一人、一人の「物語」の大切さに気付く人もいるようです。女性同士の人間関係で「あなたの物語」を大切にすると、相手にとても喜ばれ、相手からとても大切にされる。よく分からないけど、癒し系のように思われる。あまり使いたくないワードですが、「スクールカースト」が「私たちの物語(みんなの物語)」を押し付けるのに対して、「あなたの物語」を大切にしていくことでスクールカーストの枠外にでられるかもしれません。


 学校以外の居場所を考える時には、「私たちの物語」や「皆が共有する物語」という学校での価値観を引きずるのではなくて、「あなたの物語」を大切にする場所づくりが必要になると思います。