子ども若者応援フリースペース(品川区)の問題点について書きました

https://narrative.hatenablog.jp/entry/2024/01/14/211225

品川区はユースワークの失敗例

品川区で、若者支援としての「ユースワーク」という講演会が行われるとのこと。講師は平塚眞樹法政大学教授。(2024年3月10日開催予定)


そこで平塚教授も分担執筆者である「子ども・若者の居場所と貧困支援: 学習支援・学校内カフェ・ユースワーク等での取組」という本を図書館で借りてきました。

 

この本にはユースワークの定義の一つとして、次のように書かれています。
(引用文献の孫引きです。前掲書138ページ)
「ユースワークとは、対話、会話のことである」
(これは文字通りの意味ではなくて、支援者と若者とか、若者同士の対話、会話という意味ですが)
つまり援助者が、「良かれと思ったこと」をするのがユースワークではなくて、若者との対話を通して、若者の声を現実に反映させるのがユースワークというわけです。

 

このような視点にたつと、このブログで繰り返し批判している「子ども若者応援フリースペース」は、偽ユースワーク、ユースワークもどきと言えるでしょう。
(税金にたかるための偽ユースワーク)

 

営団体代表の中塚史行は、本当に対話のできない人。何でも自分で決めて、スタッフや利用者は自分に従うのが当たり前と思っています。スタッフも年配の共産党支持者か、年配男性に意見などしそうもない若い女性スタッフなどで、かためています。品川区主催のフリースペースを完全に私物化しているわけです。ついには品川区主催のフリースペースにも関わらず、中塚は「子ども若者応援フリースペース代表」と名乗るまでに。

 

このフリースペースの気持ち悪さは、子どもの気持ちなど考えずに自己満足で玩具(おもちゃ)を与え続ける毒親に似ています。ゲームとか漫画とか卓球台はあるけれど、まともな対話のできる大人はいません。(全くいないわけではないけれど、対話のできるスタッフの多くは辞めてしまいました)

 

あるいは「みんな一緒に」と言いつつ、少数のエリート、あるいは独裁者の思想を押し付ける独裁国家や失敗した共産主義国家にも似ています。みんなの「居場所」と言いつつ、その「みんな」は、中塚の言うことに文句を言わずに従う人だけです。共産党共産主義のすべてが悪いとは思いませんが、共産主義的発想の悪い部分が如実に表れていると思います。(実際には右とか左ではなくて、対話のできる人と出来ない人がいるだけでしょう。ただ共産主義的な思想が、対話の出来ない人を有能な人のように偽装するのに利用される、税金にたかる口の上手い詐欺師に利用されるという危険性はあるのでしょう)

 

本質的な意味で品川区の「子ども若者応援フリースペース」はユースワークの失敗例と言わざるを得ません。

 

告知サイト

子ども若者応援フリースペース

(ページ中ほどのイベント情報)

 

(品川区の主催なのに区役所のホームページに告知がないのは違和感があります。
運営は中塚が代表の法人ですが。
紙のチラシは、品川区の区立図書館においてありました。)

若者支援としての「ユースワーク」
日時:2024年3月10日(日)
   14:00~17:00(開場13:30)
会場:品川区中小企業センター大講習室
講師:平塚眞樹さん
  (法政大学教授・若者支援とユースワーク研究会代表)
定員:100名(先着順)
参加費:500円(資料代)※子ども・若者は無料
主 催:品川区

 

参考文献

www.gakuji.co.jp

 

学習支援・学校内カフェ・ユースワーク等での取組
横井敏郎 編著 

 

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夜明けのすべて(原作と映画との違い)

映画夜明けのすべて。

この映画は、私には理解しにくい点や違和感を抱いた部分もありました。また映画の舞台挨拶等でも、原作と異なる部分があるという話が出ていたので、瀬尾まいこさんの原作小説を読んでみました。

 

そこで、映画と原作の相違点をメモしてみたいと思います。
この記事をきっかけに、映画と原作小説の両方に興味を持っていただければ幸いです。

以下ネタバレになります。


全体的な構成やストーリー、登場人物のキャラクターについて

 

原作の小説では、1,3,5など奇数の章は藤沢美紗(映画で演じるのは上白石萌音)、偶数章は山添孝俊(映画で演じるのは松村北斗)の1人称で進行します。推理小説のような構成ですが、この小説では二人の主人公にじっくりと向き合える構成になっています。

 

小説での山添さんは、パニック障害発症後、恋人とも別れ、家族や友人とも疎遠となっている。人間関係を最低限に制限することで心の平安を得ようとしていることが、映画よりも明確に描かれています。

 

前半部分のストーリーは映画版も比較的小説での出来事が反映されていますが、終盤部分のストーリーが大きく異なります。

 


小説と映画で設定が変更されているエピソード

 

山添君の主治医
小説では中年の心療内科
映画では女性の精神科医
小説では薬物療法中心、医師が暴露療法を紹介するのは映画版のみ。
(小説ではリアリティ重視、映画では、ちょっと癖の強い女性精神科医

 

山添君のパニック障害に関して

小説での設定
山添君は最後まで電車に乗れない。
他人が運転する自動車には乗れないが、自分で車を運転することは出来て、会社では配達業務も担当している。(一筋縄ではいかない複雑な症状)

 

映画では藤沢さんが山添君に自転車をプレゼントするが、小説では、電車に乗れない山添君が自分で自転車を購入。(藤沢さんの「おせっかいなエピソード」は、小説の中でも色々と出てくるので、藤沢さんが自転車をプレゼントしても、それほど違和感はありません)

 

 

原作のみのエピソード

 

コンビニに関するエピソード
山添君が、お守りをもらう話
藤沢さんが映画ボヘミアン・ラプソディを見た話
藤沢さんが虫垂炎(盲腸)になった話
藤沢さんと山添君が、栗田金属を盛り上げようと頑張る話

(後半の主なエピソードは、ほぼカットされてしまっています)


原作の小説では、比較的地味なエピソードがとても丁寧に描かれており、映画版とは違った魅力があります。

 


映画のみのエピソード

 

栗田科学の移動プラネタリウム
それと関連して藤沢さんと山添君が星を見上げるシーンなど。
(小説版の栗田金属は、もっと地味な業務を行う会社)

 

栗田科学に取材に来る中学生

 

栗田社長が、家族を失った人たちの集まりに出席するシーン

 

山添君が、以前勤めていた会社の先輩と退社後も接触したり、恋人と心療内科に行くシーン。

 

藤沢さんの母親のリハビリシーン。また母親の退院後、一緒に住むために、藤沢さんは転職の準備をする。
(映画の方がストーリー性を重視した展開に)


まとめ
全体的に、小説と映画では、かなり異なる内容になっています。


映画版は、PMSパニック障害を理解してもらうことで精一杯という印象。小説の方は、一般論としての病気の理解の先にある人間関係について、より丁寧に描こうとしていると感じました。(困難を抱える人、マイノリティの人が、居心地が良いと感じる人間関係について、非常に示唆に富む内容だと思います)

 

映画では、原作をかなり改変してしまったので、主演女優であり原作者のファンでもある上白石萌音と原作者の瀬尾まいこさんの対談をセッティングすることで、原作者に許してもらった。悪意のある解釈ですが、そんなことも思い浮かびました。

 

小説「夜明けのすべて」は二人の主人公、藤沢さんと山添君の心情を非常に丁寧に描いた作品で、映画化するには困難な部分が多くあります。また原作の設定では藤沢さん28歳、山添君25歳ですが、実際には松村北斗のほうが上白石萌音よりも年上です。この点が気になる人もいそうです。

 

私のように映画に違和感を感じた人もいるかと思いますが、原作小説を読めば、そうした違和感の多くは解消されそうです。

 

中塚史行の経歴詐称について(品川区のNPO代表)

訂正

公認心理師を認定心理師と書いていました。

国家資格は公認心理師です。

 

2024年3月3日追記

中塚史行を公認心理師と紹介しているサイトがありました。
しかし、この肩書は詐称の疑いがあります。
公認心理師は国家資格であり、資格保持者以外が心理師を名乗ることは犯罪です。

 

以下、該当部分を引用します。

 

江戸川区ひきこもり実態調査から、行政とNPOの連携について考える / 市民社会をつくるボランタリーフォーラムTOKYO 2023

 

中塚史行さん
2005年に発達障害の子どもたちの教育支援をおこなうNPO法人「教育サポートセンターNIRE」を設立。
その後、ニート・ひきこもりなどの若者支援に事業をひろげ、2016年からは「安心できる・自信がつく・仲間がいる」をコンセプトとした子ども・若者の居場所「子ども若者応援フリースペース」(品川区委託)
を運営しています。公認心理師特別支援教育士、准認定ファンドレイザ

引用終わり

 

 

以下の内容は2024年2月15日に投稿したものです。

 

議員居座りの中塚亮品川区議の兄、中塚史行に関する記事です。
中塚亮品川区議の兄、NPO法人の代表である中塚史行は、昨年12月、母校の法政大学第二中・高等学校で講演を行っていたようです。この講演に関して、公式ブログによる中塚史行の紹介は詐称の疑いがあり看過できない内容だと思います。以下、主催団体の公式ブログから引用します。

 

第32回 子どもの未来をひらく川崎集会 | 子どもの未来をひらく川崎集会公式ブログ

 

以下引用
中塚史行さんの紹介
NPO法人教育サポートセンターNIRE代表・子ども若者応援フリースペース代表・特別支援教育士・公認心理士・ユースワーカー。

引用終わり

 

上記の紹介文には2か所、大きな問題があると思います。
一つは、子ども若者応援フリースペース代表という肩書。このフリースペースは品川区が主催しているものであり、中塚が代表の法人が運営を委託されているだけです。中塚が、あたかも代表であるかのようにフリースペースを私物化しているだけであって、代表ではあり得ません。

 

二つ目は公認心理士という肩書。
公認心理師は、国家資格(名称独占)。もし無資格で自称すれば犯罪です。
しかし、よく見ると紹介文は公認心理士になっています。紛らわしいとは言っても、自身の資格を間違える人はいないでしょう。国家資格と誤認させることが目的で実態不明の肩書、資格を名乗っていると解釈せざるを得ないと思います。

 

母校で行われた講演で、見栄を張りたいという驕り、甘えでしょうか。

 

犯罪とまでは言えないとはいえ、経歴や資格を詐称するような人間が、品川区の税金で活動し、子どもや若者(その中には、知的障害や精神障害発達障害のある人たちもいます)と関わることは極めて不適切です。


 性暴力で日本共産党を除籍になったものの、区議会議員を続けている弟の中塚亮区議と同様、区民の厳しい目と品川区による厳正な対応が必要です。

 

主催者による公式ブログ(写真が中塚兄)

miraishuukai.jugem.jp

 

中塚史行さんの紹介

NPO法人教育サポートセンターNIRE代表・子ども若者応援フリースペース代表・特別支援教育士・公認心理士・ユースワーカー。

品川区を中心に発達障害をもつ子ども達やニート・ひきこもりの若者達に寄り添う活動を長年続ける。
法政二中高の卒業生で、高校時代1年のときに平和研究会を設立し、2年の二高祭で陸軍登戸研究所についてて発表。研究所で働く人たちが口を固く閉ざしていたが高校生が訪ねると「君たちには話そう」とぽつぽつと語り始め、細菌兵器毒ガス、風船爆弾…衝撃的なことばかりだったそうです。

主催 子どもの未来をひらく川崎集会実行委員会

後援 川崎市川崎市教育委員会東京新聞朝日新聞社川崎支局・読売新聞社川崎支局・毎日新聞社川崎支局

 

東京新聞による告知記事
<つながる子育て>思春期の課題や特別支援など 教育に関わる問題考える 来月3日、川崎市で集会

 

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中塚品川区議を共産党から除籍 東京・地区委

 

子ども若者応援フリースペース(品川区)

 

税金にたかる共産党系のNPO(品川区)

夜明けのすべて(アスペルガーには難しい映画)

2月8日金曜日に映画「夜明けのすべて」が公開されました。
私は主演の上白石萌音が好きなので、土曜日に2回目の舞台挨拶がある回のライブビューイングを見に行きました。映画『L♡DK ひとつ屋根の下、「スキ」がふたつ。』は、映画館でもDVDでも何回も見ました。またドキュメンタリー番組での上白石萌音のナレーションも絶品だと思います。


しかし今作「夜明けのすべて」に関しては、当日は体調が悪かったこともあり、アスペルガーには難しい映画という気がしました。
ちょっと難しめの表現を使うと最後まで主人公、藤澤さん(上白石萌音)に関する「心のモデル」を上手く作れませんでした。普通の表現をすると、主人公、藤澤さん(上白石萌音)の性格や言動が、今一つ理解できないままでした。そのため、具体的なエピソードの断面だけが記憶に残り、全体としてまとまりのあるストーリーとかイメージを作れませんでした。

 

以下、具体的なシーンを振り返りながら、感想を書いてみます。

 

おそらく、この映画一番の見せ場である藤澤さん(上白石萌音)が
山添さん(松村北斗)の髪を切るシーン。なぜ自分で髪を切ろうとしている山添さん(松村北斗)の髪を藤澤さん(上白石萌音)が切ったのか。この映画にはラブシーンらしいラブシーンがないので、一種のサービスシーンではと、身もふたもない解釈をしてしまいました。

 

藤澤さん(上白石萌音)が山添さん(松村北斗)に自転車をあげるシーンも、理由が分からず何故の嵐に。また藤澤さん(上白石萌音)がPMSで迷惑をかけたお詫びに、山添さん(松村北斗)に、甘くない和菓子を買ってくるシーンにも、もやもやしました。こういうのは、ある種の発達障害の人にみられる独りよがりの発想で(ただし性格自体が良い人だと歓迎されることが多い)、PMSとは直接関係ないんじゃないかと思いました。

 

藤澤さん(上白石萌音)が山添さん(松村北斗)に北極星の位置を教えるシーンでも、上白石萌音は実際には目が悪い(視力が低い)ので、見えてないんだろうなと思ったり。

 

山添さん(松村北斗)が心療内科の診察を受けるシーン。主治医の女医さんは、つぼいメンタルクリニック精神科医・坪井絵里子を演じる女優の内田慈(うちだ ちか)さん。心療内科医なのか、精神科医なのかも個人的には気になりますが(私が個人的にクリニックを探す時は気にしますが)、この作品では気にする必要のない、些細な違いにすぎないのでしょう。
そこで、山添さん(松村北斗)は、ネットで調べた行動療法について質問します。
女医さんはネットで調べた情報は鵜呑みにしない方がいいよと言いつつ、暴露療法について紹介します。暴露療法って行動療法の一種じゃん、誤解を与えそうなやりとりだな。(実際には色々な立場があるのかもしれませんが)

 

藤澤さん(上白石萌音)と山添さん(松村北斗)が働く会社に取材に来た中学生の男の子。「ハーフ」とも「お父さんは外国人」とも劇中では明かされてないと思うけど、パンフレットには詳しい設定が書いてあるのかな。

 

同じく二人が働く会社のの社用車はダイハツ
ダイハツの不祥事が無かったら、今でも上白石萌音のナレーションで「いっしょに見たい夢があります」というCMが続いていたのかな。

 

「Light you up Nibako」 ダイハツCM)


「Light you up こどもたちの夢」篇ダイハツCM)

 

 

ついでに舞台挨拶から気になった点を

 

上白石萌音瀬尾まいこと対談した話など、セクシー田中さんの余波が影を落としていると感じました。上白石萌音主演の映画L♡DK は比較的原作に忠実ですが、大ヒットドラマ「恋はつづくよどこまでも」は原作とかなり変わっていました。

 

上白石萌音の生理の話も。(ネットニュースの記者がいない舞台挨拶向けに選んだネタでしょうか)生理の時は眠くなると話していて、前日の生放送「ラヴィット」終わりのコメント「(番組が終わったら)寝たい」というコメントの伏線回収みたい。

 

終わりに
この映画の名せりふであり、映画のテーマ
「男女の友情は成立するか?」

(それはは分からないけれど)

「相手が辛いときにちょっと助けることならできる」

 

それはそうなんですが、もう少し相手のニーズをちゃんと把握して行動しないと、現実には、うまく行かないような。独りよがりの行動でも許されるのは、結局男とか女として魅力があるからではという気がします。

 

動物的な欲求、人間的な感情、社会的な評価

居場所づくりに限らず、人と人とのかかわり方とか、何かを選択する時の基準を考える時に「動物的な欲求、人間的な感情、社会的な評価」という3つの項目は参考になると思います。
どこかに似た話があったと思ったら、フロイトの「イド(衝動)、エゴ(自我)、スーパーエゴ(超自我)」という話に似ています。脳科学などで、より科学的な説明が可能になっても、古典的な思想が、思考に影響を与えているようです。


 動物的な欲求というと性欲の問題もありますが、子どもたちの場合、スポーツやゲームで発散させる(適度に欲求を満たす)ことが重要でしょう。スポーツやゲームの世界にも、順位とか成績と言った社会的な評価がつきものですが、スポーツそのものを楽しみたいとかゲームそのものを楽しみたいと思うこともあります。
(私の場合、電動自転車によるゆるいサイクリングとか将棋ソフトで詰将棋などを楽しんでいます。電動自転車じゃなくて普通の自転車でちゃんと運動したほうがいいとか、将棋をやるなら初段を目指してなどと言われると余計なお世話と言う気がします。)

 

人間的な感情というのは実態不明で曖昧な概念とも言えますが、心の癒しと関連していて、上手く満たされると心がいやされる感情と言えるかもしれません。自分らしい感性を反映している部分でしょうか。近況報告の時に具体的なエピソードとともに語りたくなる気持ちなど。具体的には喜怒哀楽。嬉しい、楽しい、悲しい、怒りなど。驚いた、怖かった、疲れたなどは、痛みなどと同様に身体感覚と深く結びついた感情と言えるでしょう。こうした感情を大切にすることが、自分で自分を癒したり、誰かを癒したりすることにつながります。(絶対にうまく行くとは言えませんが)

 

ここで思い出したのはネットニュースになった「キャバクラのような塾」

 

ある塾講師の苦言「勉強できない子達が行き着く塾はキャバクラのような塾」 学力に合わせた学びのあり方に意見続々

 

news.yahoo.co.jp

 

ネットニュースになったキャバクラのような塾は、実際には「癒しを重視した補習塾」という気がします。本当のキャバクラは、どちらかというと動物的な欲求を巧妙に刺激する場所ではないでしょうか。(実際のところは分かりませんが)
 試験の成績と言う社会的な評価に傷ついた子どもの心を癒して本来の能力を引き出すのなら有意義な存在です。実際勉強に目覚める子もいるでしょうし。
 個人的な感想ですが、雑談からキャバクラを連想するのは、学校とか塾の先生が、試験の成績にとらわれ過ぎだからと言う気がします。

 

ついでにいうと、失敗した居場所づくりというのはキャバクラにもなれなかった劣化版ネットカフェ、漫画喫茶、ゲームセンターです。勢いで、ものすごく語弊のあることを書いてしまいました。ネットカフェ、漫画喫茶、ゲームセンター、どれも有意義な施設です。上手に利用することで楽しい時間を過ごせます。問題は、居場所のない子どもたちを安い費用で収容するために、劣化版のネットカフェ、漫画喫茶、ゲームセンターもどきを作ることです。この場合、子どもたちは欲望のままユーチューブを見たり、ゲームをしたりして過ごすことになります。ユーチューブをきっかけに何かを学ぶ子どももいるのでしょうが、多くの子どもは動物的な欲求を満たしながら時間をつぶします。ゲームの場合、点数とかクリアとか、疑似的な「社会的な評価」を求めて頑張ることに。キャバクラ的な居場所の方がはるかにマシです。(これは文字通りのキャバクラではなくて、少し前に引用したキャバクラみたいな塾と言う意味でのキャバクラです)

 

長くなったので強引に話をまとめると、人間は「動物的な欲求」と「社会的な評価」という両極端の間で揺れ動きがち。あるいは両者が一体になったもの(ゲームでの高得点など)が、人生の全てだと思い込みがち。しかし「動物的な欲求」と「社会的な評価」の間には、「人間的な感情」がある。「人間的な感情」を大切にすることは、心の癒しにつながり、人間そのもの(自分自身や相手のこと)を大切にすることにつながります。

 

「あなたの物語」と「私たちの物語」

誰かと雑談したりする時、相手と共通の話題を探す人と、相手が話したい話題を探す人がいます。(そんなことを考えずに自分が話したいことを話せれば一番いいのかもしれませんが、少しでも相手に合わせようと言う気持ちがある場合)
相手と共通の話題は「私たちの物語」、相手が話したい話題は「あなたの物語」と言い換えることも出来るでしょう。


 「私たちの物語」というと宗教が典型でしょうか。聖書の物語などは、宗教を信じて共有している人にとっての「私たちの物語」。新しい宗教が出来る時には、信者の人たちで共有される「私たちの物語」が作られます。
 「あなたの物語」というと小説とか漫画、アニメ、ドラマなどが思い浮かびます。
もちろん、こうしたメディアでも、宗教や歴史、政治と言った「私たちの物語」も描かれますが、一人、一人の個別的な物語が描かれることも多くあります。(ラブストーリーなど)


ネット空間では旧ツイッター、Xは、「私たちの物語」という幻想に浸るための装置という気がします。選挙で盛り上がったり、最近だとテレビ局や出版社を追及したり。欲求不満を吐き出す個人の物語ではなくて「私たちの物語」だと思えるような仕組みが作られています。
 一方はてなブログは基本的に「あなたの物語」に興味を持つ人が読むもの。以前は、もっと一般的なテーマ(時事的な内容や流行に関するもの)の記事が多かったような気がしますが、最近では書き手は「私の物語(個人の物語)」をつづり、読み手は「あなたの物語」を読む場所だと思います。


 学校は基本的に「私たちの物語(学校の物語)」を生徒や学生に押し付ける場所です。一人、一人の物語を大切にすると言う建前はあっても、学校全体の「大きな物語」「私たちの学校の物語」から大きく外れる人を応援するのは困難でしょう。表面的に一人、一人の物語に寄り添おうとしても、教師のウソはすぐにばれます。(定時制高校とか通信制高校、あるいは特別支援学校などでは、とことん学生の物語に寄り添う教育も行われているのかもしれませんが)


 いわゆる普通の学校について考えると、「私たちの物語」を押し付けるのではなくて、「あなたの物語」を大切にしてくれる友人や先生は癒しをもたらす存在になります。窗ぎわのトットちゃんに出てくるトモエ学園の校長先生、小林先生なんかが代表例でしょう。私自身の経験を振り返ると、浪人生の時、河合塾の小論文の先生が、一人、一人の個性を本当に大切にしてくれる先生でした。その先生と話すことで随分救われた記憶があります。


 10代の男子では難しいのでしょうが、女子の場合、中学生ぐらいから、親しい友達とか先輩、後輩など、一人、一人の「物語」の大切さに気付く人もいるようです。女性同士の人間関係で「あなたの物語」を大切にすると、相手にとても喜ばれ、相手からとても大切にされる。よく分からないけど、癒し系のように思われる。あまり使いたくないワードですが、「スクールカースト」が「私たちの物語(みんなの物語)」を押し付けるのに対して、「あなたの物語」を大切にしていくことでスクールカーストの枠外にでられるかもしれません。


 学校以外の居場所を考える時には、「私たちの物語」や「皆が共有する物語」という学校での価値観を引きずるのではなくて、「あなたの物語」を大切にする場所づくりが必要になると思います。
 

アスペルガーは記憶を生きる

人間は生きていると、何か新しい経験をしている時間、それを振り返る時間、寝ていたり、何も考えていないに分けられると思います。


 例えば海外旅行に行ったり、映画を見たり、博物館に行ったり、散歩やサイクリングを楽しんだり。スーパーやコンビニに買い物に行ったりなど。(最近は学校にも通わず、働いてもいないので、学校や仕事のエピソードは、あまり思い浮かびませんが)
一方、そうした出来事を思い出して振り返る時間もあります。比較的最近のこととして思い出すのはゴジラの映画を見に行ったことととか(椅子が動く4DXで鑑賞)、海老名にあるロマンスカーミュージアムに行ったこと、ファミレスのバーミンヤンで猫型配膳ロボットが子どもたちに人気だったことなど。こうした比較的大きな出来事だけでなくて、コンビニやスーパー、図書館、ブックオフなどに行ったことを、お風呂に入った時や夜中蒲団の中で振り返ることもあります。今日は節分なので、コンビニやスーパーには恵方巻が沢山あったとか、節分ロールと言う節分用のロールケーキがおいてあったとか。スーパーではキャットフード「CIAOちゅ~る」の試供品を配っていたとか。比喩的に言うと色々な出来事がゴミ屋敷みたいに、ごちゃごちゃに記憶されているので、もう一度振り返ることで記憶を整理しているのだと思います。


 アスペルガーの人が、あまり相手のことを考えずに一人でしゃべり続ける時は、相手とのコミュニケーションと言う当初の目的を忘れて、自分の記憶を整理するためにしゃべり続けているのかもしれません。


 今まで経験した出来事を振り返るのは、誰でもあることだと思います。しかし記憶を振り返るのに費やす時間が比較的長く、その時退屈することが少ないのが、アスペルガー的な発達障害の特徴かもしれません。ロマンスカーミュージアムに行った日には、自宅に帰って来てから風呂に入って、一日を振り返っていました。博物館に展示されている10両のロマンスカーと、もう1両の古い電車。当時やっていたウルトラセブンとタイアップした企画展。(ウルトラセブンの作中にロマンスカーが登場するため)屋上から眺める小田急線や周囲の風景など。じっくりと振り返ることで記憶が整理されてスッキリします。


アスペルガーはトラウマのフラッシュバックに悩まされる人が多くいます。好きなアニメを馬鹿にされたと言った普通の人にとっては些細な出来事で、大震災を経験したようなフラッシュバックを経験したりします。あまりにひどい場合は精神科を受診する必要があるのでしょう。(頭では分かっていても、私自身は相手が悪いと考えがちですが)
しかし普段から記憶の整理が出来るようになると、トラウマ的な出来事が起こらない限り、比較的穏やかに過ごせるようになったと思います。


 ちなみにアスペルガーは記憶力が良いのかは議論のある所です。私が思うに、単純に記憶力が良いと言うよりも、記憶が整理されるまで同じ項目を繰り返すのが苦ではないというのもあると思います。英語の教科書とか社会の教科書などでは(数学は少し違いますが主に文系の教科書では)、断片的な記憶のまま先に進むよりも、すっきりと記憶できるまで繰り返し学習したくなったりします。


 ともあれ、人を大切にするとか人に大切にされるというのも、お互いの記憶を大切にするという側面が強いと思います。人間は他者の記憶に直接触れることはできないので、記憶を束ねた物語(一人、一人のナラティブ)が大切になります。ここら辺の話は分からない人にとっては本当に分からないようですが。(アスペルガーが空気を読めないのと同じように)


 私たちは自分の記憶も他者の記憶も大切にできる時、穏やかな人生を送れるようになると思います。