映画夜明けのすべて。
この映画は、私には理解しにくい点や違和感を抱いた部分もありました。また映画の舞台挨拶等でも、原作と異なる部分があるという話が出ていたので、瀬尾まいこさんの原作小説を読んでみました。
そこで、映画と原作の相違点をメモしてみたいと思います。
この記事をきっかけに、映画と原作小説の両方に興味を持っていただければ幸いです。
以下ネタバレになります。
全体的な構成やストーリー、登場人物のキャラクターについて
原作の小説では、1,3,5など奇数の章は藤沢美紗(映画で演じるのは上白石萌音)、偶数章は山添孝俊(映画で演じるのは松村北斗)の1人称で進行します。推理小説のような構成ですが、この小説では二人の主人公にじっくりと向き合える構成になっています。
小説での山添さんは、パニック障害発症後、恋人とも別れ、家族や友人とも疎遠となっている。人間関係を最低限に制限することで心の平安を得ようとしていることが、映画よりも明確に描かれています。
前半部分のストーリーは映画版も比較的小説での出来事が反映されていますが、終盤部分のストーリーが大きく異なります。
小説と映画で設定が変更されているエピソード
山添君の主治医
小説では中年の心療内科医
映画では女性の精神科医
小説では薬物療法中心、医師が暴露療法を紹介するのは映画版のみ。
(小説ではリアリティ重視、映画では、ちょっと癖の強い女性精神科医)
山添君のパニック障害に関して
小説での設定
山添君は最後まで電車に乗れない。
他人が運転する自動車には乗れないが、自分で車を運転することは出来て、会社では配達業務も担当している。(一筋縄ではいかない複雑な症状)
映画では藤沢さんが山添君に自転車をプレゼントするが、小説では、電車に乗れない山添君が自分で自転車を購入。(藤沢さんの「おせっかいなエピソード」は、小説の中でも色々と出てくるので、藤沢さんが自転車をプレゼントしても、それほど違和感はありません)
原作のみのエピソード
コンビニに関するエピソード
山添君が、お守りをもらう話
藤沢さんが映画ボヘミアン・ラプソディを見た話
藤沢さんが虫垂炎(盲腸)になった話
藤沢さんと山添君が、栗田金属を盛り上げようと頑張る話
(後半の主なエピソードは、ほぼカットされてしまっています)
原作の小説では、比較的地味なエピソードがとても丁寧に描かれており、映画版とは違った魅力があります。
映画のみのエピソード
栗田科学の移動プラネタリウム
それと関連して藤沢さんと山添君が星を見上げるシーンなど。
(小説版の栗田金属は、もっと地味な業務を行う会社)
栗田科学に取材に来る中学生
栗田社長が、家族を失った人たちの集まりに出席するシーン
山添君が、以前勤めていた会社の先輩と退社後も接触したり、恋人と心療内科に行くシーン。
藤沢さんの母親のリハビリシーン。また母親の退院後、一緒に住むために、藤沢さんは転職の準備をする。
(映画の方がストーリー性を重視した展開に)
まとめ
全体的に、小説と映画では、かなり異なる内容になっています。
映画版は、PMSとパニック障害を理解してもらうことで精一杯という印象。小説の方は、一般論としての病気の理解の先にある人間関係について、より丁寧に描こうとしていると感じました。(困難を抱える人、マイノリティの人が、居心地が良いと感じる人間関係について、非常に示唆に富む内容だと思います)
映画では、原作をかなり改変してしまったので、主演女優であり原作者のファンでもある上白石萌音と原作者の瀬尾まいこさんの対談をセッティングすることで、原作者に許してもらった。悪意のある解釈ですが、そんなことも思い浮かびました。
小説「夜明けのすべて」は二人の主人公、藤沢さんと山添君の心情を非常に丁寧に描いた作品で、映画化するには困難な部分が多くあります。また原作の設定では藤沢さん28歳、山添君25歳ですが、実際には松村北斗のほうが上白石萌音よりも年上です。この点が気になる人もいそうです。
私のように映画に違和感を感じた人もいるかと思いますが、原作小説を読めば、そうした違和感の多くは解消されそうです。