子ども若者応援フリースペース(品川区)の問題点について書きました

https://narrative.hatenablog.jp/entry/2024/01/14/211225

動物的な欲求、人間的な感情、社会的な評価

居場所づくりに限らず、人と人とのかかわり方とか、何かを選択する時の基準を考える時に「動物的な欲求、人間的な感情、社会的な評価」という3つの項目は参考になると思います。
どこかに似た話があったと思ったら、フロイトの「イド(衝動)、エゴ(自我)、スーパーエゴ(超自我)」という話に似ています。脳科学などで、より科学的な説明が可能になっても、古典的な思想が、思考に影響を与えているようです。


 動物的な欲求というと性欲の問題もありますが、子どもたちの場合、スポーツやゲームで発散させる(適度に欲求を満たす)ことが重要でしょう。スポーツやゲームの世界にも、順位とか成績と言った社会的な評価がつきものですが、スポーツそのものを楽しみたいとかゲームそのものを楽しみたいと思うこともあります。
(私の場合、電動自転車によるゆるいサイクリングとか将棋ソフトで詰将棋などを楽しんでいます。電動自転車じゃなくて普通の自転車でちゃんと運動したほうがいいとか、将棋をやるなら初段を目指してなどと言われると余計なお世話と言う気がします。)

 

人間的な感情というのは実態不明で曖昧な概念とも言えますが、心の癒しと関連していて、上手く満たされると心がいやされる感情と言えるかもしれません。自分らしい感性を反映している部分でしょうか。近況報告の時に具体的なエピソードとともに語りたくなる気持ちなど。具体的には喜怒哀楽。嬉しい、楽しい、悲しい、怒りなど。驚いた、怖かった、疲れたなどは、痛みなどと同様に身体感覚と深く結びついた感情と言えるでしょう。こうした感情を大切にすることが、自分で自分を癒したり、誰かを癒したりすることにつながります。(絶対にうまく行くとは言えませんが)

 

ここで思い出したのはネットニュースになった「キャバクラのような塾」

 

ある塾講師の苦言「勉強できない子達が行き着く塾はキャバクラのような塾」 学力に合わせた学びのあり方に意見続々

 

news.yahoo.co.jp

 

ネットニュースになったキャバクラのような塾は、実際には「癒しを重視した補習塾」という気がします。本当のキャバクラは、どちらかというと動物的な欲求を巧妙に刺激する場所ではないでしょうか。(実際のところは分かりませんが)
 試験の成績と言う社会的な評価に傷ついた子どもの心を癒して本来の能力を引き出すのなら有意義な存在です。実際勉強に目覚める子もいるでしょうし。
 個人的な感想ですが、雑談からキャバクラを連想するのは、学校とか塾の先生が、試験の成績にとらわれ過ぎだからと言う気がします。

 

ついでにいうと、失敗した居場所づくりというのはキャバクラにもなれなかった劣化版ネットカフェ、漫画喫茶、ゲームセンターです。勢いで、ものすごく語弊のあることを書いてしまいました。ネットカフェ、漫画喫茶、ゲームセンター、どれも有意義な施設です。上手に利用することで楽しい時間を過ごせます。問題は、居場所のない子どもたちを安い費用で収容するために、劣化版のネットカフェ、漫画喫茶、ゲームセンターもどきを作ることです。この場合、子どもたちは欲望のままユーチューブを見たり、ゲームをしたりして過ごすことになります。ユーチューブをきっかけに何かを学ぶ子どももいるのでしょうが、多くの子どもは動物的な欲求を満たしながら時間をつぶします。ゲームの場合、点数とかクリアとか、疑似的な「社会的な評価」を求めて頑張ることに。キャバクラ的な居場所の方がはるかにマシです。(これは文字通りのキャバクラではなくて、少し前に引用したキャバクラみたいな塾と言う意味でのキャバクラです)

 

長くなったので強引に話をまとめると、人間は「動物的な欲求」と「社会的な評価」という両極端の間で揺れ動きがち。あるいは両者が一体になったもの(ゲームでの高得点など)が、人生の全てだと思い込みがち。しかし「動物的な欲求」と「社会的な評価」の間には、「人間的な感情」がある。「人間的な感情」を大切にすることは、心の癒しにつながり、人間そのもの(自分自身や相手のこと)を大切にすることにつながります。